3日目、ホテルから向かったのはRzeszow(これでジェシュフ)の市内のホテル内の1室にある在ウクライナ日本大使館。
ここはロシア侵攻後、ポーランド国内に大使館機能を移転されている場所。
8/22-9/4までウクライナに大使館を戻す準備でキーウから戻られたばかりの松田大使、藤本一等書記官、松本三等書記官にご対応いただいた。
松田大使からは、ここジェシュフはウクライナからも近く(国境から約100km)、空港、駅があるため各国からのウクライナ支援物資のハブになっていることや現在のウクライナの状況、戦争が終わってからの復興は最低でも10年かかること、ステージごとに必要な支援が変わっていくことなどを教えていただいた。
JINRIKIのことや、どのような活動を前回したかも事前に確認いただいており、JINRIKIは高齢者、障がい者の避難だけではなく、停戦後もロシア軍撤退の際にあちこちに仕掛けられた地雷による負傷者(車いす使用者)にも必要となる物資の一つと考えておられた。
侵攻から半年間、ウクライナ国内への支援物資供給を担う信頼できる国際的な組織とも連携されており、JINRIKIのウクライナ国内への供給にも大使館として支援すると言っていただいた。
(左がマルタさん)
午後には、同ホテルにウクライナ国内で医療支援や人道支援活動をされているNGO COMMUNITY SELF-HELP のマルタさんが、当日国境を越えてウクライナからJINRIKIを引き取りに来られた。
ここは、日本出発前にお会いしたジャパン・プラットフォーム(JPF)を通じて連絡が取れた団体で、JINRIKIを直接持ち帰って役立てていただけると、20セット寄贈する。
その後、ジェシュフを後にして西に200km、前回訪れたクラクフに向かう。
途中、前回ご協力いただいたクラクフ在住の日本人画家の宮永さんと合流し、マルタ騎士団の支部へ。
お会いした医療支援を中心に活動をされているマルタ騎士団の皆さんは、普段は救急隊員として仕事をされていて、ボランティアで必要な医療物資をウクライナに届けている。
侵攻直後は1週間に1回程度、今でも月に1回程度ウクライナに届けているとのこと。
前回帰国後に、宮永さんがJINRIKIの使い方を説明し、数台寄贈されていてリビュウの病院に届けてられており、集まった皆さんはJINRIKIの有効性はすでにご存知の方ばかり。
この救急車とバン、その他には3.5トントラック(それ以上のサイズだと破壊された道路を走行できないらしい)に往路は物資を積み、復路は避難者、負傷した避難者を乗せて戻ってくる。
バンは後部がリフトになっていて、車いす使用者も乗せることがあるとのこと。
9月末頃、ウクライナ南部のオデーサに入られる際に現地の病院に届けてもらえることとなり、20セット寄贈した。
しかし、オデーサの病院には毎日1,000人もの負傷者が運び込まれていて、あればあるだけ支援につながり届け先の病院だけでも、すぐにでも最低100台は必要だろうとのこと。
直接戦地に近いところに行かれている方々の言葉は重く、改めてJINRIKIウクライナ支援プロジェクトは長期的支援でなくてはならないと感じた。
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